119の69です

5月25日梅雨の始まりそうな雨 僕は5年間から月に一度、行きつけの医者に行く。 別に大層な病気でもなく、不幸自慢でもない。 先日はその5年間で、初のベートーヴェンで、どうかなりそうになった。 受付も、医師も、もう私の対応には慣れている。 僕が大っ嫌いなTVを、周りのおばちゃんや、おじちゃんなど、 世間話をしながら嬉しそうに僕の大っ嫌いなTVを見ている。 僕は下を向き本棚にいつも置かれている、天皇陛下誕生祭という写真集を ボーーーっと見る。見る、呼ばれるまでひたすら見る。 すると、いつものように「内倉さーん」と大きな声で呼び出され、血圧を測るのだ。 ショパンが静かに流れる空間だが、 今回は違うベートーヴェンの運動会でよく流れる、そう、あれだ。 そいつが小さな音で流れているのだ。おい、血圧だぞ?と思いながら 「内倉さん元気ですか〜?」など、いつも通りの平凡な会話を30秒する。 月に一度の今日の血圧は「はい。119の69ですね」。 なんて僕の血圧は、ふざけた数値なのだと思いながら、支払いをし、そそくさと車に乗る。

隅間からこっそり

5月24日晴れのち小雨 スタジオ時代に一度ウィトキンのオリジナルプリントを見に行ったことがある。 なんでかな、特に理由はないけど「ウィトキンの言葉」は昔からデータで残している。 強烈な写真家と言ったらなんと単純な響きだけども、 異常なまでの闇の世界は光を知っていないと構成されないし、 それは北野武の映画でも言える事だろう。あれだけ一瞬で人をいとも簡単に殺したら 「愛は大切である。殺しはダメである」一瞬でそんな当たり前の事を、 映画を見たら誰もが感じるように、ウィットキンの作品もそれとはまた違う方向だけど、 伝えたいとこは同じではないだろうか。 だが、ドキドキして指の隅間からこっそり見てしまう「お化け屋敷感覚」が結局ある。 「ウィトキンの言葉より」 私のつくる写真はまさに戦いの痕が刻まれた地図である。 これらのイメージの発想は、恐怖と直面することから生まれる。 こうしたイメージをつくりだすことは、深い闇の力との闘争なのだ。 私が敗北したなら、私は汚水、血、排泄物になることだろう。 もし勝利したらなば、私は魂から発する力と光明を映し出すイメージをつくり上げる。 これがすべての詩、すべての経験の目的である。これこそが真の存在である。 それは子供の純粋さの中に、そして古の聖人の叡知の中に見ることができる。 それは、文化、人種、そして時間さえも超越する。 (ジョエル・ピーター・ウィトキン)

メロスのように

5月23日ただ晴れている いつもの生活に戻る。早起きを気持ちよくし、娘を保育園に連れて行き、スタジオに行く。 あ、そういえばだ、以前も「遺書」に記載したが一人テニスのおじちゃんがいたのだ。 スーパーの馬鹿広い駐車場で、黙々と朝早くから汗だくになりながら 一人テニスをしている。私はこの光景をこれで15回は見ている。 なので今日は保育園の駐車場に車を止めずに、スーパーの馬鹿広い駐車場に車を止めた。 おじいちゃんにいい加減話しかけてみるか迷う。 僕は娘におじちゃんに、おはようございます!と大きい声で言ってごらん。と言った。 娘は、まあそれは、大きな声で「おはようございマァァス!」と、 300メートルくらい離れた場所からご挨拶をした。 僕はいい加減このおじちゃんを作品として撮ろうかとても迷った。 すると、おじちゃんは凄まじい朝日の逆光を浴びながら小走りで僕の方に来る。 もう走れメロスのようだ。いや、でもおじちゃんだ。 その笑顔ときたら勘弁してほしいほど優しい笑顔で、 笑顔があまりにも美しすぎたので、作品にはやめとこうと思う。 次はどんな顔かしら。

強く、もっと強く

5月22日大阪&京都&宮崎晴れ 講義と、個展に向け大阪、京都に行く。 京都は相変わらずスカッとした風が宮崎に似ている。 大阪はとゆうのか母校は活気に溢れていた。 僕は1年生にどこから教えようか?と考えていたんだけど、 最終的な落とし所は「写真表現の楽しさと可能性」「24時間撮る」 とてもシンプルなことだ。だけどもこのシンプルは年を重ねていくうちに、 就職、結婚、子供ができた、何も悪いことではないし、むしろ素敵なことだ。 だが、なぜ作品を撮り続けるのか。 それは、やってる者でないとわからない。 個展を終え、本日朝7時の飛行機に乗り、スタジオに戻り仕事撮影を開始。 僕は今回の京都で誰もそうそう経験できないであろう、徹底した覚悟が決まった。 強く、もっと強くなるんだ。 夕方の母の長襦袢はゆらゆらととても美しかった。

大蛇の痕跡

5月17日晴れ カチッとした音で、目薬をさし缶で熟成されたコーヒーを飲み、ムシャムシャとガムを噛みながらお気に入りの音楽をドン!!と車内で流しエンジンをかける。 到着地に近づくにつれ雨が降ってくる。空の雲行きもどんよりとして。 干からびた綿アメのようで、車内でのタバコが少し吸いにくい。 カーナビが突然男に話す「000の為通行止めです」男は冷静に別ルートを探す。 だがまたカーナビが「000の為通行止めです」その通行止めに5回出会う。 もはやナビはあてにならず方向音痴+ナビがあてにならない+地図も苦手。 男はある会議時間内に間に合わないとまずい。少し焦る。 少しの脳みそで考えた結果「この道を曲がってみよう」と考えた。 道がどんどん細くなっていき、道路には大蛇の痕跡のような地割れ、 住宅地には全ての屋根にブルーシートがかけられている。 山の様々な大きな木の枝が今にも落ちそうで、恐怖を感じる。 驚くほど周りは静かで人は誰もいない。その時間帯は10時50分頃である。 様々な場所で痛々しい崩れた家を通り過ぎながら、 市内に近づくにつれその男が感じた「恐怖」は薄れていく。 市内中心部の人々は車内から見ると笑顔で、楽しそうなカップルなど 当たり前のような光景があった。その男は安心をした。 その安心とは振り返ると何とも情けない安心であった。 実際に現地に行き、TV、SNS等では分からない、 実際の現場に直面した「恐怖に怯えた男」であった。 帰り道、現地を見た感情で涙が止まらず、そして個展開催の直前の喜びが入り混じり、 どうもこうもない感情に襲われながら。家に着き無理やり眠った。

安宿に泊まる私を照らせ。

5月15日微妙な天気 僕は小説はあまり読まないが、 第130回芥川賞作家の金原ひとみさんの本は全て愛読している。 計り知れない、 ディープ、 カオス、 愛。 まさに、 ストレートな感情と、 ストレートな感性そのものの作家さんだと思う。 ここまでの作家さんだと、 ナルシリズムの塊の太宰治ではないが、精神崩壊するのではと思う。 でも、クールなんだ。 「さあ私の太陽神よ舞い上がれ、安宿に泊まる私を照らせ。」

テクマクマヤコン

5月12日晴れ 先日は一ヶ月と10日ぶりの休みだった。 前にもブログで記載したが、忙しいアピールではなく、 バタバタした有り難い日々があっただけだ。 一日の休日をどんな素晴らしい日にしようか。 いつもよりたっぷりと寝て8時30分くらいに、ゆっくり起きた。 娘と洗濯物をほし、家の庭付近を掃除して朝日を浴びるつもりは無いが、 めいいっぱい朝日を浴びて、風呂に入り楽な服装に着替え出発の準備をするのだ。 僕の昨日の出発は娘と沢山遊ぶ事だった。 沢山のおもちゃをみて、アイスクリーム屋さんにいって、ドーナッツを一緒に食べる。 その後、ここからが、僕の楽しみのスタートなんだが海に行くのだ。 移動中に最近4歳の娘が口にしたのは、 「パパ、スナップてなに?」であった。さんざん写真に囲まれている娘は、 作品の区別がつきだした。正直将来が楽しみでしょうがない。 いよいよ隠れ場の猫屋敷がある小さな森を抜けた海についた。 もうなれたのか、猫屋敷のおじさんも「おお、ひさしぶりじゃああね」と。 最近は雨が続いていたので心配していたが、 猫達はすこぶる元気に、昼寝をしていた。砂浜で一緒に走った。 次は僕が最高に集中力が必要とする時に昔から行く、 馬小屋付近の河原に連れて行ってあげた。 大きな馬を見て娘はさすがに驚いていた。 なにも着飾っていない馬小屋から大きな窓がある。いや、入り口か。 そこから、ヌメッと馬は顔を少し出すのだ。 そのヌメッと、とは実に美しくも凶器的な光景でもあった、 いま、このブログ、いや遺書でもあるどうでもよい文章を書いている途中に、 遊び疲れた娘は嫁と一緒に寝た。 嬉しい事に今日、観たアニ

オギャー その2

5月7日曇りのち晴れその後に曇り 少しの金髪と白髪が入り混じり、ジーパンにエプロン姿で大きな声で接客をしている。 ここはいつも不思議なコンビニだな。 僕はいつもと同じように100円コーヒーを買い、注ぐボタンを押す。 するとオットセイのような声が、外の駐車場からする。 何か金髪店員と金髪兄ちゃんがもめているようだ。 僕はその様子をボーと見つめる。 あっ、アイスコーヒーが出来上がった!さあ、ショパンを聴きタバコとコーヒ。 素晴らしい朝のスタートだ。玄関を出て、金髪をすり抜け車に乗ろうとすると、 ショパンどころか、怒鳴り声で僕をイライラさせてくれる。 落ち着こう。そう、生まれた時はみんな同じオギャーなのだ。 だが、会話の内容は34年間生きていた中で、 トップクラスに入るくらいどうでもいい内容で口喧嘩をしていた。 アイスコーヒーの氷は溶け、ピリピリ。全く世界は面白い。

プリントスタート

5月5日晴れ。 KYOTOGRAPHIE個展に向けて、プリント作業を今日から一気に開始している。 オリジナルプリントはやはり美しい。 オリジナルといえばプリントだけでなく作家の独自性が大事で、 作品は自分自身のオリジナルのスタイル。 アイデンティティが確立されていないと面白くない。 Aのパターン:実験です、こんなんやりました。 Bのパターン:いや、僕はダメな写真です。まだまだ修業中なんです。 完全趣味ならかまわないが、 AとBのパターンならば、 で?としか僕は言えない。 で?から始まる事は、前も後もない。 仕事でも作品でも、堂々と自信を持って発表するのが写真家であり、 ましてや、お金を頂いて撮影しているプロカメラマンならなおさらだ。

遺書、もしくは過去と未来

5月3日大雨と強い風の後に凄まじい晴れ ブログを見て下さってるレアな貴方様へ。 もう分かると思うが僕のブログでは、僕の日々の思想とシンクロして、 スナップショットによる撮り下ろしの作品を、ブログ正式にはWEB媒体で発表している。 実際はもちろんオリジナルプリントが良い。 WEB媒体で作品の発表は過去10年前に写真作家で話題性になったが、 その議論はもうとっくに終わった。 だがオリジナルプリントが良い。 僕が今年発表する犬による最新作シリーズの発表は、 KYOTOGRAPHIE+galleryMainを皮切りに一気にスタートするが、 ブログに掲載している日々の撮り下ろしスナップ作品群は、 特にセレクトもなくザクザクブログで発表してるので 客観的に見ても間近な僕の写真による思想が見えて面白い。 日々、呼吸をするように撮影しているスナップ達は、 私の遺書、もしくは過去と未来とも繋がっている。

ドロップ

5月1日快晴 風景写真で小綺麗な蛍の写真は見たことはあるが、 実際はどんなものだろう、僕は蛍の光を見たことがない。 真夜中、鈴虫にも似た心地よい鳴き声が聞こえ、お気に入りの写真集と自分の新作を見る。 書斎の小さな窓からは、小さな池と、小さな外灯が見える。 ずいぶんな時間だが、映画を見て夜更しをする。 すると4歳の女の子が僕の書斎に入ってきた。僕は一緒に映画の説明をしながら見た。 「どうしてホタルはすぐ死ぬん?」 「こっちがお風呂で、こっちは台所!」 幼い頃見て、目を背けたかった、二度と見たくなかった映画である。 だが15年ぶりに見て思ったのは、1年に一度この映画は必ず見ようと思った。 米粒一個に感謝し、水に感謝し、当たり前に生きていること、 ましてや写真芸術などを出来ていることに感謝。 一緒に映画を見ている4歳の女の子は僕の娘。 主人公と同じ年くらいの女の子。 大切なのは、人間による人間同士の、 戦争の悲劇を常に思い続けることだろう。 空になったドロップには少しの甘み。 火垂るの墓に、少しの涙と大きな生きる力。

l i n k

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