淡々と見える日常は驚きで溢れている「Collection」"TV"「十一月の星」大阪BLOOM GALLERY個展開催。

ねえ。見に来て!とても大きい真っ赤な素敵なTVよ/いいな、私の家にはまだTVがないの/紅白歌合戦を見に行っていいかしら?/お父さんが野球を見る時間だからお勉強していなさい/古い真っ赤なTVを見つける。液晶のど真ん中には何かに叩きつけられた後があり大きなヒビが入っている。僕はいつもブログで書いているけど全くTVは見ない。その時代の様々なフィクション、ドキュメントを見せていてくれていたのだろう。そして持ち主はどんな人物だったのだろうか。不法投棄という名のもとで捨てられていた。とても重い。軍手をしやっとのことステージに登壇させ撮影を開始する。直射日光が大きなヒビ穴にあたる。 ・ 写真作品をしている理由は写真表現を追求していることが本質ではないのかもしれない。もちろん制作していく上で追求は挑戦していくものだけど、本当は自意識過剰で結局は自分の投影のようなことをしているような気もする。そしてそれを自分だけではなく図々しくも他者に見せる。だから"写真とは"と、語る理由もないように感じる。ミュージシャンが歌詞を書き、音に合わせて歌う。時には踊りながら。それと同じように創造し、制作し、創造に近づけ自己を投影させ新たに発見し、作品にし発表する。シリーズによってはドキュメンタリーの時もあれば、そうでもない時もある。どう見てくれようが見る方の自由だ。昔はそう思っていた。だが今はそうは思っていない。作品をこう見てくれたらとても嬉しい。そのように感じている。なので僕の作品に興味を持ってくださる方々に本当に感謝しているし、心から嬉しい。 その興味だけど最も必要なことは、当たり前の日常がどれほど不思議なこと

出版 / 上海アーティスト イン レジデンス/「Collection」"パンパンに詰められた貝"

外はミンミンとセミが鳴いているのに、こんなにも晴れていて気持ちがいいのに、防空壕の中に入ると音一つない世界。寒いくらいで進んでいけば行けば行くほど真っ暗闇に覆われる。「あー。これ、相当やなぁ」その相当は興味範囲だけで入るものではないと感じていた。懐中電灯があれば!と、思っていたのだがもちろんなく、携帯の明かりもそんなに明るくもない。しょうがない、外に出ようか。と、思って出ようとしていたら出口に近付くにつれ光に照らされた透明で銀色の何やら袋らしきものがある。それを持ち、外に出てステージを作り撮る。誰が何の理由で何があってこれを入れたのだろうか?それは透明のビニール袋にパンパンに詰められた何十個もある貝だった。しかも絶対に開けられないようにしっかり締めている。猫の餌でもないし、何だろうか。それにしても美しい輝きを放った貝だった。 ・ 台湾での個展では大変有り難いことに好評で、9月30日まで延長になった。作品もコレクターの方から購入もされ、販売にそんなに興味がない僕も嬉しく思った。それはコレクターがGALLERYとの付き合いでの購入ではなく、僕のファンだという事がはっきり分かっていたからだ。サイズもB0サイズと大きなサイズ。先日プリントを終え台湾に送った。どんな場所に飾ってくれるのだろうか。僕はそんな事に購入に関して喜びを感じている。 今年は全てにおいて集中力を増さなければならない。もうすぐ10月、大阪での個展も控えている。レセプションはしない。初日はGALLERYにいて来てくれるお客様と話す。そしてトークをするだけだ。すごくシンプルな方法にした。そして写真新世紀展も同時

君はどこで生まれて何をして何故ここにいるのか?「Collection」"バッタらしき虫"

高速道路のパーキングエリアで休憩する。そこには自動販売機と芝生しかない。缶コーヒーとタバコを一服すると足元に小さな虫がいる。かじられた様子も特になく、綺麗な状態で眠っている。トランクを開けゴソゴソと準備をしステージを作り上げマクロレンズで写真にする。このシリーズを撮っていると考えてもしょうがない事を考えるのだ。「君はどこで生まれて何をして何故ここにいるのか?」そんなことを。インドアな僕は昆虫には全く詳しくない。バッタに似た種類の昆虫でまだ子供のようだ。 ところで僕は、僕は何故人間として生まれて/ここまで生きて/生かされて/わずかながら36年間様々な出来事を受け止め/そして時には逃げながら/もがきながらも/前にひたすらに前に進み/そしてまた何故、今ここにいてカメラを持ち写真を撮り作品にし/発表し/何かを求め/何かに挑み/そしてまた何かに僕は物足りなさを感じ/出会いがあり/別れもあり/その中で経験した様々な学びでさらに何かにまた挑戦し/また何かが始まり。 決して終わりはない写真作品の道の果てには一体何があるのだろうか?その全ての"何か"をどうか教えて欲しいと強く思っている。"十一月の星"「ただ生きようとする力」それだけで十分なのに。そんなことを僕はバッタらしき虫を見ながら思っていた。「僕はどこで生まれて何をして何故ここにいるのか?」今日は仕事が休みで2時間作品を撮れる時間ができた。大雨の中、カッパに長靴カメラにビニール、そして撮れた。こうしている間、台湾のGALLERYでは僕の"犬の戦士団""十一月の星"は開催されている。僕の作品が国境を越えていくことは、今ここにいる自分がとても愛

バナナの叩き売りのような世界中のストリートファイターな写真家達。「Collection」"車椅子"

海から長く、長く、ひたすら歩く。すると見たこともない場所に小さな小屋がある。そこでは、おじいさん、おばあさん、そして若い男の子が忙しそうに、貴金属を再利用しているようだ。まるで映画「スワロテイル」のような光景だ。「ここは立ち入り禁止なんだけどね...?」「あ、すみません。気が付きませんでした。面白いものがあるので写真を撮っていいですか?」「あんた、変わってるな。」その程度の会話で僕はガラスだらけの道を長靴で歩き下を向く。"そこには誰かといた記憶"まさにそのような生命体達が沢山ある。ありすぎて困るくらいだった。ふと見たら車椅子があった。誰が乗っていたのか、元気になったのだろうか、この車椅子のクッション部分が随分座った後がある。十分役目を果たしたんだろうな。太陽の強い光と影に突き刺された車椅子。木の枝、何かの破片が沢山あるが僕はステージを作り、そのままそのステージに乗せた。ゴミの山の一番上に登り、車椅子にカメラを向ける。不安定な天候だから曇りになって光がソフトになったりする。僕は再び突き刺さるような日差しを待った。その時が来てf32にし転びそうなほどに足場が悪かったので、連写モードにした。さあ、十分役目を果たした車椅子はこんなにも素晴らしいじゃないか。そんなことを思いながらタバコを一服。書斎に戻りプリントする。なんて美しい姿だ、永遠の美しさを放つ「Collection"車椅子"」となった。 ・ さて、僕は台湾のコマーシャルフォトギャラリー居芸廊G.GALLERYに行った。今年三月に第3回WONDER FOTO DAYでキュレーター賞(Joanna Fu|傅尔得 選)を

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