ただ撮ることが美しく

ついさっきまで海はしばらく。と、書いていたのだけどある休日。僕は大地に向かった。全く嘘ばかりの行為に向かっていた。だからまた鳥達を撮りだした。鳥を撮ることは空を見上げることになり、鳥がいる場所は海。鳥達の原始的な動きを捉えながら、ふと見る海と空を再確認した。しかし今回のシリーズはとてつもなく長い。僕はいつも作品を数ヶ月で終わらせる。早い時は7日間で完結させたシリーズもある。昨年の12月から毎日のように撮り始め現在2月26日になる。これくらいになるとステイトメント、タイトルも少し見えてくるんだけど今回はまだ見えない。つまりただ、ただ撮ることが美しく、それしかなく、それ以上が現在ない。 僕は自分を俯瞰的に見てある人物にこう言った。 「たぶん僕は存在のあるものを明確に捉えて、飽きがこないように素早く終わらせる。でも、そこには徹底した追求が本当にあるのかというと、ないとも言えないが、徹底的とは言えないのかもしれない。だから思うのが僕はまだ限界まで行っていない。限界まで行ったら限界突破の突破口を見つけ突破するはずだ。それはよく言う天才は99%の努力と1%の才能。そのような事だと思う。それを考えたら僕の写真芸術に対する努力というものはまだ全然足りていない。ていうことは今回のシリーズは完結や、いつ発表するとか、そんな事、今はどうでもいいのかもしれない。そして、コンペ小僧も卒業し写真家のまっとうな道、大手出版社で認められ、個展を開催する。このシンプルな道はとてつもなく難しいことを今になり改めて理解している。だがそれでも、一番大事なのは天に向かうくらい真っ直ぐな気持ちで写真を撮り、写真家は写真で

偉大なる何かは少しずつ僕に姿を見せてきてくれている。

気持ちのいい晴れ。暖かい一日。ジャケットがいると思ったけどスーツだけで丁度よかった。朝からあれやこれやと準備をする。悲しいよりか、美しい旅立ちに思えて僕は母と姉と準備をしていた。そうだ、親戚の皆んなが来る前にお墓に花を添えて綺麗にしておかなければ。母に言われ急いで掃除をしに行ったけど、プロにコーティングを任せていた事を忘れていて、これがまたビックリするほどピカピカになっていて掃除も殆どいらなかった。さすが職人にはかなわない。 父が9年前に立てた新しいお墓には、僕が写したカメラを持った父の手の写真がお墓に彫られている。それがまたかっこいい。10年前、僕がまだフィルムを作品でギリギリ使っていた時代で暗室もまだあった頃だ。4×5、GX68、RZ67、大きくてお気に入りのカメラが沢山あるはずなのに父はNikonのFM2を選んだ。理由は自分の手が大きく写るから。それだけだった。そんな事を思い出しクスクス笑いながら僕はお墓を掃除した。住職の方にお祈りをしていただき、夕方、立派な食事を用意して父の新たな道をお祈りした快晴の四十九日。 そして父のアトリエを新しく一気に作り上げた。これも父との約束の一つ。大きな父の肖像写真を飾り、新聞にたくさん掲載されている父、業界誌に掲載されている父、お気に入りの写真家の写真集達、家族との思い出の写真。そしてどうでもいい手紙や、メッセージ文章などなど。父は宝物のように大切に保管していた。だが、その量はとんでもない量で僕だけではなく皆んなで仕分けし、新しい棚にストックした。じゅうたんも、天井のライトも、スタンドライトも、ソファも、テーブルも、ジュエリーボックスも

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