20年前の僕へ
出版記念個展に向けて、とんでもないスケジュールの中で7月、僕は何度も東京の印刷会社にほぼ日帰りのような状態で行っていた。写真集そして個展同時に手を一切抜くことなく毎日が不安との格闘だった気がしている。今こうしてブログを書いている今も僕は何かしら思っている。赤々舎で2シリーズ目になる作品集では今までの僕のスタイル(自意識の強さ)を全て消した。それは意志がないということではなく写真集に携わる方々の考え、僕の作品をどう料理してくれるのか。そこをワクワクしていた。一人で作った料理は自分でしか味はわからないし、ひどく不味いかもしれない。他者が僕が買ってきた材料で作ってくれた料理は一味も二味も違うだろうから。それは個展も同様だった。いつもお世話になりっぱなしのディレクターさんに初めて根本的な部分から相談をした。搬入作業の時に設営をしていると「やっぱりこれでよかった」僕は何事にも変えれない気持ちになる。そして頭出し(出版記念個展先行販売用)の写真集がGALLERYに到着する。「今見たらいけない。今見たら設営ができなくなる」そう思いながらも手に取った時、身体中に震えがきた。まるで生まれたばかりの赤ん坊を手にしたかのように。そのまま見ることもなくもちろんまだ出版社でも販売が始まっていないから僕の手元にはない。つまり購入された方はもう見てくれている。自分の作品が作品集になり誰かの手元に行く気分はなんとも言えない。いつも思っていた個展はライブ、写真集はCD。もう今となればそんなブツクサした僕の考えなどどうでもよく、ただただ感動の日々を僕は送っている。ようやく、ようやくここまで来たんだ。そんな青年のような気持ちで。張り詰めた糸がプツンと一度切れたけど。再び糸が繋がった。なぜなら次はその大切な作品集を抱きかかえ、今開催中の個展=我が城を毎日思いながら、僕は自分の遺書と言ってもいい。大袈裟ではないだろう、しっかり抱えて胸を張って発表していく。これがまた面白い。その中で賛否両論あるだろうけど僕は全部聞きたいし、全部受け止める。もちろん素面で。
冒頭から久しぶりの相変わらずまとまりも落とし所もないブログになった。しかしこのブログも見たい見たいという人もいるものだから書いている。そういえば僕はなぜいちいちブログを書くのだろう。ほとんどの作家はブログで私事など書かない。今ふと思う、僕は本当に無口だし、人と関わるのが根本的に苦手だからだ。
今回の写真集を購入し帯文&テキストを見てくださった方は知っているだろうけど。「忘却の海」には隠されたコンセプシャルなものがある。それは僕は口が裂けても言えない。言っちゃったら作品が台無しになるからだ。ところが帯文とテキストを書いてくださっている、写真家 今道子先生と写真評論家 タカザワケンジ先生は"それ"を書いている。読ませて頂いた時本当に驚いた。作品だけでこんなにも理解してくれるのか。こんなに有難いものはない。ある戦友が昔こう言った「これやったら、もう制作出来ねえんじゃねえの」それは「十一月の星」だった。僕も実は毎回それを思いながらただひたすら次の新作を手がけていた。今回僕は思う、「忘却の海」はこれから僕の写真家生命を繋いでくれるものだと。
そして20年前にタイムスリップできたら僕は自分にこう話しかけたい、「内倉さ、今お前が凄えって思ってる人にさ、将来認められて帯書いてもらえるぜ」と。今日は僕の嫌いな町は台風が去ったばかりだ。まだ雨といつもより強い風が吹くけど心地がいい。
さて、今日の曲は誰もが知っている映画Leonの"Shape of My Heart"。 なんだかこれ見てるとなんとも言えない。
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