隅間からこっそり
5月24日晴れのち小雨

スタジオ時代に一度ウィトキンのオリジナルプリントを見に行ったことがある。
なんでかな、特に理由はないけど「ウィトキンの言葉」は昔からデータで残している。
強烈な写真家と言ったらなんと単純な響きだけども、
異常なまでの闇の世界は光を知っていないと構成されないし、
それは北野武の映画でも言える事だろう。あれだけ一瞬で人をいとも簡単に殺したら
「愛は大切である。殺しはダメである」一瞬でそんな当たり前の事を、
映画を見たら誰もが感じるように、ウィットキンの作品もそれとはまた違う方向だけど、
伝えたいとこは同じではないだろうか。
だが、ドキドキして指の隅間からこっそり見てしまう「お化け屋敷感覚」が結局ある。
「ウィトキンの言葉より」
私のつくる写真はまさに戦いの痕が刻まれた地図である。
これらのイメージの発想は、恐怖と直面することから生まれる。
こうしたイメージをつくりだすことは、深い闇の力との闘争なのだ。
私が敗北したなら、私は汚水、血、排泄物になることだろう。
もし勝利したらなば、私は魂から発する力と光明を映し出すイメージをつくり上げる。
これがすべての詩、すべての経験の目的である。これこそが真の存在である。
それは子供の純粋さの中に、そして古の聖人の叡知の中に見ることができる。
それは、文化、人種、そして時間さえも超越する。
(ジョエル・ピーター・ウィトキン)