Phorograph in the Street
9月9日 宮崎戻る。秋晴れ

新宿コニカミノルタ個展開催同時に、僕は渋谷であることをしていた。
7月瀬戸内国際写真祭より野外展示の素晴らしさを感じ、
現在も展示させていただいているが、更に飢えが始まる。
その「飢え」とは写真家にとってもっとも大切な「心臓」の部分で、
「飢え」=「打つ」=「紙」=「見せる」になる。
その飢えと共に活動できたのは写真家横山隆平氏。
ストリートスナップを撮影し続けている写真家。
僕は横山氏と瀬戸内の開催に至るまで、
また、開催後から様々な「夢」を語っていた。
内容は実にロックで、もっと自由な発表媒体。
それはごく自然なところにヒントがあった。
写真はもちろん光で出来ている。
ではその「写真」=「光」を撮る場所はどこなのか?
それは私たちが普段住んでいる
何気ない街並み、旅行、カフェ、全てだ。
全ての生きる環境の現場で写真作品を撮っている。
その現場から切り抜かれた写真群はどうなるのか。
コンペで賞受賞しました。
素晴らしいgalleryで個展を開催しました。
美術館で開催しました。
作品を洋服に、バックにプリントしコラボしました。
出版しました。
SNSで発表してます。
どれも素晴らしい発表媒体だしなかなか出来る事でもない。
だが、更に写真家、美術家、評論家、出版社、ギャラリスト以外、
誰もが作品を目に入れる手法はないのか?
その手法は、私たちが生きている環境の現場である。
そうなると写真は自由に駆け巡る。額すら邪魔だ。
渋谷に数百枚の枚数で突発的に現れ、
数万人に見られ、自由に雨に打たれ、風で飛ばされ、
ガムをつけられ、携帯で撮られ、欲しい人は剥がしていく。
その行為は発表の本質かもしれない。
だからこそ写真の本質は「見る」「見られる」ことだ。
そして、手法はカメラではなく「撮ること」だと確信した。
ゲリラ展示を完了した後、
僕は前日のワインの二日酔いが少し残っており、
いつも横山氏と行く渋谷の大衆居酒屋でおにぎり6個を食べ、
大いに「夢」=「目的」を語る。
誰もやらないなら、こちらから仕掛ける。
尊敬はするが、
いつまでも大御所写真家にヘコヘコしない。
「PIS(ピス)/Phorograph in the Street=フォトグラフ・イン・ザ・ストリート
写真は閉ざされた空間から抜け出して、再び街へ──。」
PIS HP: https://pis.themedia.jp