光はどこまでも光で、写真は写真でしかなく、紙は紙でしかない。

10月1日 神棚を新しくする。

「天地創造」が本当なら暗闇でカメラの存在はなく、暗闇は暗闇でしかなかっただろう。

そこに「光」ができたから全ての生命体が見え、昼、夜、大地、海、植物、太陽、月、星、魚、鳥、獣、家畜、神に似せた二本足に二本の腕(人間=カメラの誕生)。

画家達による19世紀以前から、光を平面に投影する試みが始まり、

「Un cheval et son conducteur」、1825年ニセフォール・ニエプスが版画を撮影したもので、最古の写真とされている。絵画、版画、彫刻、書道と違い「写真」の歴史はまだ浅い。

僕は今、2000年〜2016年まで16年間(年数は関係ないが)写真芸術をしていて大袈裟で結構だが、歴史を繋ぐ。写真史を学ぶだけでなく、写真表現に挑戦し続ける。

固定された概念「固定概念」は精神年齢を衰えさせるばかりで、

そこから新たに生まれるものはない。富士山を撮り続けて30年は立派だが30年間表現力、思想力が変化しないのは富士山でなく作者のマスターベーションに過ぎない。

だが、そのマスターベーションには、とびっきりの楽しみがある。

観覧者を一切に無視した、本人しか知らない微妙な富士山の変化だろう。

(これは分かりやすく富士山に例えているだけ。)

僕はどうなのだろうか。

あらゆる撮影、手法は変わろうが、概念による固定された記憶の変化はない。