くしゃくしゃになった一万円
11月12日 寒い日だ

「いや、いや、受け取ってくださいよ」
突き返し、くしゃくしゃになった一万円札を思い出していた。
Cartier、Franck Muller、Louis Vuitton、GUCCI、Hermes、ROLEX、Mercedes‐Benz、BMW、Lexus、例えたら数知れない高価な物。否定はしない。僕も一部持っている。
現在夜中いや朝に近い。僕は明日撮影できる服でも決めようとボーッとクローゼットを見ていた。よく見たら見栄ばかりのスーツに、洋服、時計がある。
さて、ここに本質、意味はあるのか。
それぞれに「なるほどこのブランドには、この良さがあって職人技だな」と納得しつつも、
やはり心にグッとこない。なぜだろう。つまりもう、どうでもよくなったのだ。
よくアート関係の人は黒だらけの服装をしているが意味がある。
展示作品の色彩を邪魔しないように黒で忍者のようにしているのだ。
僕も基本、黒が多い。今回の本質、意味を考え余計なものは削除すると決めた。
それと同時に私生活の一部、ある物事も削除した。
もっとも黒で、黒だらけ。「今日は素敵なディナー」そのような時の為に少し色彩のあるものを残した。バック、時計は誰も知らない職人さんが作ったシンプルなものを残し、あとは段ボールにぶち込んだ。車は大事だ、しょうがない。馬力がある車は作品意欲に比例する。
さて、くしゃくしゃの一万円札を思い出した僕は、
彼がもっとも素直で、素敵な人生を生きることを祈りながら、
僕は今から再度、眠りにつこう。
どんな人間も生まれた時はオギャーから始まる。
明日も早朝、娘に美味しいパンを焼かなくては。
作品「震える瞳」より「生命」一枚抜粋