−君の口びるが「さようなら」と動くことがこわくて下を向いてた。−
Charles Camille Saint-Saëns,を聞きながら思っていました。

初の日の出の光は、息子「光紀」に暖かくあたり、見ている人々に、眠っている人々に、植物に、昆虫に、お魚さんに、動物に、家に、道路に、雲に、すべて光があたるその美しさは、特に写真にする必要は僕にはなく、ただ「写真は光で出来ている」この当たり前のフレーズと共に僕はひたすらに新作を撮っている。
「光を知るには闇を受け止めなさい。」このような文章を僕は、息子が大人になった時の為に現在、文章と作品で残している。昨年、世界中でおきた様々な悲劇や、日本では熊本大震災。それだけでなく全ての悲しい出来事。僕は政治家でもなんでもないのだけど、ただそのように思いながら光をありがたく浴びた元旦。
半熟卵のような日の出は、ゆっくり出てきて、
もしこれが目玉焼きなら美味しいだろう。
いや、目玉焼きにはマヨネーズがないと////////スラッシュ space
return 話が飛んだ。戻す。
海にあるいつもの猫屋敷は今年もただの猫屋敷で、
僕の住む町は変わらずただの町で、
いつものように車内で「イルカが聞きたいパパ」と連発され、
朝からイルカを聞きながら保育園に連れて行く。
−君の口びるが「さようなら」と動くことがこわくて下を向いてた。−
同じフレーズを何度も歌う娘と僕は運転しながらピアノの役。
そのようにいつもの物事が、いつも通りの幸せを感じながら、
僕は写真と共に全てを記録していくのだろう。
きっとそれはこの画像にあるように、娘と海で集めた貝殻をパシャっと記念にとるように。
ごく自然に、今年も内倉が内倉であり続けるための、、、、、
いや、もう面倒だ。内倉真一郎がカメラになる。それだけだ。