写真家だから写真にお金を使う

「お疲れ様です、先輩どうですか最近 」 「 いやさ、これがこうでさ、やってるよ作品 」 たまに電話で長時間話す写真家の先輩がいる。先輩とは同じ母校で数年前からだろうか、少しの活動(グループ展など)を通じて仲良くさせていただいている。いつもいつも僕を応援してくれて、ここぞという時にポン!とメールと電話が来る。優しく聞き手上手な先輩だ。関東・関西で制作はせず山口県で作品制作をし、作品を発表。そして篠山紀信に認められ篠山のポートレートを撮影し、Canon写真新世紀では優秀賞を受賞した写真家 安森信さんだ。

先輩の作品はエロス/私事/生/性/死(私写真は今様々な問題が起きているが僕はそんな事どうでもいい)とてもダイナミックな切り撮り方と繊細なトーン。先輩は地道に地道に活動=作品制作を重ね、いよいよ今年か来年にさらに活動を起こすみたいだ。それは後輩の僕も自分の事のように嬉しい。さて僕も更に気合入れないといけないではないか、そんな気分になる。先月の電話で先輩は面白い事を...... 「写真家ってさ、写真家だから写真にお金を使うんだよね。他のものには俺は興味がないから。大きな決断をする時は、極論の考えが発動するんだよ。それに死ぬわけじゃないってこと。人生すべてにおいて悔いを残したくないよね。」 そんな言葉を聞いた。なんてシンプルな言葉だろうか、そしてなんて的を得た言葉だろうか。僕の場合は数年前から酒も飲まない、友人と食事に行くこともなく、夜飲みに行くこともまずない。服装も興味がなくなったので作品の色彩の邪魔をしない黒にしている。というか服装で個性を表現するつもりはない。それは作品で表現をしているだからだ。そして気がついたら物欲もない。 とてもシンプルなこと、興味があるのは写真だ。