過去から現在へ。そして永遠の美しさを。「Collection 」"フクロウ"


きっかけは彼の腕だったのかもしれない。生涯、いや現在も天職に没頭している彼の腕を僕はそのまま撮影した。その腕ときたら様々な苦労のあとで輝いている。一見恐いイメージもするかもしれないが僕はまたしても彼から最新作の制作が始まった。

今年の初め寒い季節だ。「何か」の手がかりを探しながら僕はいつものように「何か」を探しに好きな音楽を聴き作品撮りに出かける。上を見ても太陽の光と青空、そして目の前には山、川、海。どこを見たらいいのか、ふと下を見たら野球ボール....いや「何か」のボールらしき「もの」がある。砂浜の誰も気づきやしない場所にあった「もの」を僕はじーっと見つめる。「ああ。僕が次に出会った世界はこれかもしれない」どう撮るかすぐに決まった。書斎に戻り2010年、2011年に発表した「肖像」「人間図鑑」で使った黒布を車のトランクに投げ込み現場に戻りカメラを構え「カシャ。カシャカシャ。」絞りは可能な限り絞る。さて、この写真は作品になるのか、どうなのだろうか。そんなことを考えていた。しばらくして僕はまた「何か」を見つけに出かけた。今度はカッパ、脚立、三脚、長靴、軍手、黒布、全て装備していた。「何か」を見つけられる自信があった。相変わらず適当で変な自信だ。そう、上は見ずに下を見続ける日々が続く。

ただひたすらに歩くと、鳩の羽でもなくカラスの羽でもない、不思議な羽が落ちていた。その前には古い小さなスクラップ工場がありスクラップにするのか?とは思えない「もの」があった。近づくと予感は予感ではなく現実そのもので「もの」は雑に捨てられていて僕と完全に目が合っていた。僕は工場のおじいちゃんに話しかけた「これはなんですか?」「何かって見ての通りだよ、剥製。」「このまま捨てる人がいるんですね?」「まあ、困るけどいつものことだよ。片方の羽が曲がっているだろ?失敗ってことだよ」「そうですか、すみませんが撮影していいですか?」おじいちゃんは仕事があるから好きにしな。そんな感じで僕をほっといてくれた。さあ、この「もの」と向き合う時間が始まった。透明のビニール袋から取り出す。匂いは少しあるし、体がまだ柔らかい。木の部分から頭の先を飛び越して羽の部分まで針金のようなものが突き刺さっている。確かに片方の羽は曲がっている。僕はひたすらその「もの」と目を合わせていた。まだ潤いがある。そして力強い瞳だった。なんて美しいんだ、そう思ったらもう止まらない。僕は一番でかい黒布を引き脚立に上る。とても寒い2月くらいだろうか、風も強い。カメラを持ちファインダーを覗くと太陽の光でその瞳、羽、足の爪までギラギラと輝いている。シャッターを押す前に心構えしていた。あ、これ本気で魂撮ることになるな、と。決して失敗作ではないフクロウの剥製。天高く何よりも高く誇らしげに輝いている。

「もの」は生命体になり、「何か」は、誰かといた、またはどこかにいた痕跡のある何か。それを作品にするには可能な限り絞る。そしてカラーだ。デロリに近い感覚もしつつ、現実以上に写真の力を使いより鮮明に、よりリアルに。生に向かうことは最も死に直面することだ。場所はどこでもいい、ただ身近な場所でその世界は始まっている。忘れられた生命体達を僕は拾い上げる。そしてよく観察すると僕が知っている知識などはバラバラに崩れる。それは誰かと何処かにいた痕跡。そして様々な場所に置かれることにより隠れた輝きを放っている。僕は真っ直ぐに、死を見つめ生の輝きに向かう。写真によってコレクションされた生命体達は新たなるステージに。過去から現在へ。そして永遠の美しさを放つ。

Canon主催写真新世紀で優秀賞を受賞した「Collection」は応募時は38点。グランプリ公開審査は関係なく「Collection」の完結に向けて制作している。100点のシリーズにしたい。あと30点ほどで完結する。冬や春と違い、夏になると全く別の生命体達が現れる。BBQにされた猪/干からびたとかげ/蝉の抜け殻/半分何者かに食べられたかぼちゃ/捨てられたピーマン/綺麗に生涯を終えたクワガタ。な