最愛なる父へ
僕は生まれた時、泣かなくて心配な状態で生まれたみたいです。医師の方に逆さにされ、お尻を何回も叩かれ様々な処置をされて今。僕は生きています。
名前は「真一郎」父が写真が一番に好きになるように願いを込めてつけた名前です。僕の息子(2才)の名前は「光紀」。父と僕でこっそり話し合い決めた名前です。
真一郎(しんいちろう)は写真の"真"
光紀(こうき)は"光"
"写真は光でできている"
父と僕でこの名前をつけました。
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12月19日(水)僕は新しい作品に向かっていて海に出かけていました。それはとても綺麗な景色で光が生き生きと水面に輝き、大地にも。鳥達は美しく飛んでいました。その日は父はお気に入りの美容師さんにパーマをかけてもらっていました。そして、お気に入りの場所で昼飯も。
12月20日(木)18時40分。
突然。誰よりも力強い父。写真が好きで、ボディビルを20歳からして全国大会まで行って、ロッキーの映画しか見ていなくて、優しくて、涙もろくて、いつも僕の事を思ってくれていた。そんな父。そんな父に突然大きな敵が現れました。
医師は「持って1日です」
僕は涙が止まらなくて、
枯れるくらい泣いて。
しかし、父は1日ではなく5日間戦いました。
医師の方も看護師さんも驚いていました。
「可能性があります。処置は.....」
父は力強く希望も見せてくれました。
そう。ある方が「内倉くん。この世界に絶対なんてないんだから」そう言ってくれて、まさにそのとうりになりました。
その最中はクリスマスイブ、そしてクリスマスでした。僕はずっと父のそばにいたけど、クリスマスだけはサンタクロースの格好に病院の駐車場で着替えて子供達にサンタさんの真似をしてプレゼントを置きサンタクロースの格好のまま病院にまた急いで車で戻りました。急いで戻って父にたくさん耳元で話しかけました。
12月26日(水)15時8分。
定休日に合わせるかのように、母、僕、姉、孫達全員が揃い最後、たくさん話しました。きっと聞こえていたはずです。僕はすぐにお葬式の準備に取り掛かりました。そうです、泣いている場合ではなく父と話していた約束があったんです。
「真一郎。もし、その日が来たら曲はロッキー。そしてド派手に葬式してくれ」
そのとうりにしました。
ロッキーの曲を爆音。
数百万円のお葬式。
まだ僕は父と約束している事が沢山あります。
僕は父のDMAのかたまりです。
これから先、僕は父が最後に教えてくれた事。
「生きる」「負けてたまるか」「写真は情熱」「人生は気合」
このエネルギーを引き継ぎます。
てっぺん目指すんだ。
どんなてっぺん?
そんなこと聞かないでくださいね。
てっぺんは、てっぺんだ。
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今日の動画もちろん映画ロッキー「Eye of the tiger」ですが、もう幼い頃から狂うくらい聞かされたので女性のカバーで。
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ー 2018年12月26日(水)父に寄せた言葉 ー