最愛なる父へ

December 26, 2018

 

 

僕は生まれた時、泣かなくて心配な状態で生まれたみたいです。医師の方に逆さにされ、お尻を何回も叩かれ様々な処置をされて今。僕は生きています。

 

名前は「真一郎」父が写真が一番に好きになるように願いを込めてつけた名前です。僕の息子(2才)の名前は「光紀」。父と僕でこっそり話し合い決めた名前です。

 

 

真一郎(しんいちろう)は写真の"真"

 

光紀(こうき)は"光"

 

"写真は光でできている"

 

父と僕でこの名前をつけました。

 

 


12月19日(水)僕は新しい作品に向かっていて海に出かけていました。それはとても綺麗な景色で光が生き生きと水面に輝き、大地にも。鳥達は美しく飛んでいました。その日は父はお気に入りの美容師さんにパーマをかけてもらっていました。そして、お気に入りの場所で昼飯も。

 

 

12月20日(木)18時40分。

 

 

突然。誰よりも力強い父。写真が好きで、ボディビルを20歳からして全国大会まで行って、ロッキーの映画しか見ていなくて、優しくて、涙もろくて、いつも僕の事を思ってくれていた。そんな父。そんな父に突然大きな敵が現れました。

 

医師は「持って1日です」

 

僕は涙が止まらなくて、

枯れるくらい泣いて。


しかし、父は1日ではなく5日間戦いました。

医師の方も看護師さんも驚いていました。

「可能性があります。処置は.....」

父は力強く希望も見せてくれました。

 

そう。ある方が「内倉くん。この世界に絶対なんてないんだから」そう言ってくれて、まさにそのとうりになりました。

 

 

その最中はクリスマスイブ、そしてクリスマスでした。僕はずっと父のそばにいたけど、クリスマスだけはサンタクロースの格好に病院の駐車場で着替えて子供達にサンタさんの真似をしてプレゼントを置きサンタクロースの格好のまま病院にまた急いで車で戻りました。急いで戻って父にたくさん耳元で話しかけました。

 

 

12月26日(水)15時8分。

 

 

定休日に合わせるかのように、母、僕、姉、孫達全員が揃い最後、たくさん話しました。きっと聞こえていたはずです。僕はすぐにお葬式の準備に取り掛かりました。そうです、泣いている場合ではなく父と話していた約束があったんです。

 

 

「真一郎。もし、その日が来たら曲はロッキー。そしてド派手に葬式してくれ」

 

 

そのとうりにしました。

ロッキーの曲を爆音。

数百万円のお葬式。

まだ僕は父と約束している事が沢山あります。

僕は父のDMAのかたまりです。

これから先、僕は父が最後に教えてくれた事。

 

「生きる」「負けてたまるか」「写真は情熱」「人生は気合」

 

このエネルギーを引き継ぎます。

てっぺん目指すんだ。

 

どんなてっぺん?

 

そんなこと聞かないでくださいね。

てっぺんは、てっぺんだ。

 

 

 

今日の動画もちろん映画ロッキー「Eye of the tiger」ですが、もう幼い頃から狂うくらい聞かされたので女性のカバーで。

 

 

 

ー 2018年12月26日(水)父に寄せた言葉 ー

 

 

 

 

 

【 父さんはブルドーザーです。 】

 

 

父であり内倉写真舘初代、内倉たけお。永眠いたしました。

満72歳。どれだけカッコイイ生き様だったのか皆様にお伝えします。

 

賑わいのある魚屋の末っ子として生まれ小学4年の時に父を亡くしました。その後、母と苦しい生活の中で生きてきました。そして今の妻に出会い、「僕は大金持ちだ」と大嘘をつきプロポーズ..(笑)母は騙されて、今の僕が生まれ、姉がいます(笑)

 

父の目標は写真家になることでした。写真家土門拳が好きで、 そして秋山庄太郎が撮る女性のポートレートに憧れ東京に行き、いきなり秋山氏の玄関前で弟子入りのお願いをして、ずっと玄関前で待っていましたが、想いは叶わず・・・母のことも気になり宮崎に戻りました。その後、父は地元でも写真は撮れる。その気持ちの一心。そして一文無しの状態でどうなるか分からない。そんな状態で商店街の一角に小さなお店、内倉写真館をオープンしました。僕が生まれていない頃のことです。

 

当時は歩いたら床が崩れるんじゃないか?というような家での貧乏生活でした。とてつもなく狭く錆びた風呂に父と姉と一緒にぎゅーぎゅーで入っている写真があります。そんな沢山の愛で溢れた家に母と父と姉と婆ちゃんと暮らしてました。しかし半端ない営業力を持っていて、車はないので営業は原付で移動。噂を聞いたら突然ご自宅に訪問し、ブライダルを年間150組も、たった一人の営業力でお仕事をいただき撮っていました。普通の営業力、精神力ではありません。父と母が家に帰ってくる時間は夜中でした。仕事をし、夜また仕事をする。幼い僕と姉は寂しかったかもしれません。ですが婆ちゃんが一緒に遊んでくれました。

 

もっと写真館で凄いお店はあるのか?仕事をしながら更に仕事を学ぶために大分にある内田写真館に年末、いきなり「写真を教えてください」と行き、内田氏と出会いました。そして内田氏から福岡の小崎写真館でも学んだらいい。と聞き小崎氏が主宰する勉強会に行き二人の師と出会います。宮崎から作品を持ち、車がないのでバスで移動。泊まる場所はサウナ...(本当ですw)その勉強会では全員がいる前で「全然ダメだ」と言われ周りの人たちは「ここまで言われたらもう来ないだろう」と、話していたそうです。ですが父はまた作品を持ち何度も、何度も、勉強会に行きました。気がつけば凄まじい勢いでポートレート技術と感性が身についていて、写真館業界でもっとも名誉ある実際のお客様を撮影したビジネスとしての写真を応募する(応募人数は毎年1千人超えなので全国中の写真館が応募しています)FUJIFILM主催営業写真コンテストで入選、優秀賞、銅賞を受賞し「まぐれ」と周りから言われながらもその後、銀賞を4回受賞。

 

その頃には車を購入していました。僕はそのスプリンターという普通車が夢のような車に見えてキラキラと、とてもカッコよく「俺の父ちゃんの車すげえよ」って、自慢していました。ですが、実際は高級な車ではないので父は少し恥ずかしがりながらも嬉しそうでした。そして神社前に新しくスタジオをオープンしました。スタジオスペースも少し広くなり最新のストロボとカメラも4×5、RZ67、GX68を購入。新しくなったスタジオが僕は大好きで機材がおもちゃ代わりでした。父がシャッターを押す後ろ姿をよく見ていました。そして、いよいよ写真館業界で日本一に輝く金賞を受賞しました。

 

母はFUJIFILMから金賞受賞の連絡が来た時、父がびっくりして交通事故を起こしたら困るから店に帰ってくるまで黙っていたそうです。婆ちゃんも泣きながら喜び、姉も喜んでいました。まだまだ子供の僕は「父ちゃん、東京行くと?お金たくさんもらえるっちゃろ?かっこいいブーツ買ってきて!」授賞式は銀座の帝国ホテルで行われ100万円を本当に持って帰ってきました。そして約束のブーツも。地元では盛大に300名以上の皆様が来てくださり祝賀会が開催されました。褒められたらグングン伸びる父です。調子も絶好調(笑)

 

しかし、全ての人が喜ぶ事はなく「まぐれだ」や、店のシャッターに嫌がらせの張り紙を貼られたり、写真館の組合を意味不明な理由で追い出されたりしました。当たり前ですが、父はそんな事でビクともしません。そこにフォーカスなく、上を目指していました。ボディビルを20歳からしていた父はボディビル大会で九州大会2位までいきました(笑)そんな体格だったからか、裏で言われても父に面と向かって攻撃してくる人は一人もいません。そんな時、僕はいつも聞かされていた言葉がありました。「真一郎、人を僻むな、妬むな、そんな小さい人間に決してなるなよ。」よく聞かされていました。そして僕が高校生になった時、大きなホテルと契約をし(有)内倉写真館は衣装も揃えた約1億円の設備をかけたスタジオになりました。

 

そしてPGC、FPG、九州情熱写真塾、全国各地でのセミナーと講演、写真文化協会の婚礼部門講師として若手の育成として活動し、いよいよFUJIFILM営業写真コンテストの審査員を2年間勤めました。でも写真を撮るのが好きだったので沢山のお客様を撮り続けていました。最後まで父は写真を撮りました。最後に撮影したのは婚礼の白無垢姿の新郎新婦さん。そして幸せいっぱいのご家族写真。相変わらず、でかい声で冗談ばかり言いながらも、瞳はギラギラとしてシャッターをスパン!!ときっていました。

 

馬鹿みたいに正直で、嘘を絶対につかない父。その分、正直すぎるのか僕は父と二人で話していた時「お父さん、多分...100人いたらお父さんの事を本気で好きって言う人は10人くらいやろね(笑)」と僕は言ったことがあります。父は笑いながら「そうやな〜。」と言いました。それくらい嘘もなく、裏切りもなく、真っ直ぐに人と向き合い、嫌なものは嫌だとぶつかってきた人間です。

そして現在。8名のスタッフでスタジオ内倉は元気よく活動しています。僕と代表を交代したのは2016年。僕はいろいろな相談を父にしました。僕が不安に思う事に全て「じゃあそうしろ。ん?じゃあやめたら?」物凄くストレートすぎるんです(笑)初代で会社を築き上げ僕にバトンを渡してくれた父。僕はよく言う二代目のボンボンです。そのボンボンは3代目に繋ぐため、父が築き上げた内倉写真館を守る覚悟が必要です。だからこそ父のように強く、前を向いて走ります。幼い頃からいつも言われていた言葉。「真一郎どんな写真だろうが、写真は情熱、人生は気合いだ!」どんなにガチガチに固めたコンセプトや技術論を披露しても、父のこの単純でストレートな言葉の前では無意味に思えるほどです。情熱と気合いで生き抜く。そんな父、内倉たけおは、新たなる旅に出ました。僕はこれからも写真館の写真も、作家としての写真も勢いよく撮ります。父は天で写真をやります。

 

 

最後に。

 

 

父は今まで全ての物事に迷いなくブルドーザーのように立ち向かってきました。ですが今回。いきなり襲いかかった敵は、なかなか手ごわかったようです。医師から「持って1日です」と言われました。それでも父は5日間も戦い、医師も看護師さんも驚いていました。医師の方は「可能性があるかもしれません」と言ってくれました。その後、とてつもない生命力で最後まで戦いました。父が最後に僕に教えてくれたのは、「生きる」それは「人生は気合!」だという事です。その姿を5日間、とてつもなく長い5日間。僕に見せてくれました。僕は決して目をそらしませんでした。最後まで見ました。

 

お父さん、ありがとう。そして、お通夜お葬式に駆けつけてくれた沢山の皆様。心配をしてくださった沢山の皆様。心から感謝いたします。ですが、決して悲しまないでください。父は冗談ばかり言う男です。時々思い出して面白い人だったなと笑ってあげてください。きっと喜びます。父はやっぱりスーパースターです。父に教わった度胸で、これからも父が築き上げた会社も、作家としての活動も全てやっていきます。

 

 

 

 

平成

2018年 12月20日(水)18時40分。

2018年 12月26日(水)15時8分。

 

 

 

 

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