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人間にしかカメラは扱えない


自宅の前の桜の木は少しずつ咲き始め、池を見るとおたまじゃくしの大群がいる。空を見上げると虹があり、雨も降り、雨雲の隙間から地上に差し込む光は美しい。どこに住んでいようがカメラと写真を通じて僕は地球を感じ自分を見つめている。設定はいつも通り取り返しのつかないモード。モノクロームと決めたらモノクロモードだ。そしてJPGモードでしか撮らない(この理由は今度ブログに残す)新たな相棒BMWの助手席にカメラのみを置き、駆け抜ける。ここかな、そんな時に駐車をし、そこから永遠と歩いていく。

どんな状態だろうが僕は写真家だ。次から次に目の前の光景に魅了され、ありとあらゆる事を撮影している。前にも言ったが写真家は忙しい。忙=心を亡くすと書くが、心なくしても魂がしっかりと記憶と共に記録してくれる。逆に心亡くすほど突き抜けた状態で撮ったほうがいい。その忙しさに写真家はしっかりと、ついていくんだ。遅れをとらないようにする。だが写真家が光景を引っ張っていくこともある。過去から現在へ、そして未来の光景すら記録し紙に焼き付ける。紙質にもこだわる。。ごまかしがきかない写真芸術だからこそ写真家の力量が発揮される。

追いついていくのか、先頭を行くのか、どっちなのだろうか。今までのシリーズに決着を終え、次のステージは楽しくも写真家しか分からない圧倒的な孤独感がある。それもすべて受け止め前に前に突き進んでいく。何度も言うが写真家は写真家でよい。ただ写真でできることはなんだろう。写真でしかできないことはなんだろう。突き詰めていく行動は思春期の少年にも似て、いつまでたっても撮る作業は繰り返される。売れることなど考える必要はない。自分と戦うのだ。そしてこの地球がいかに偉大なのか、人間にしかカメラは扱えない。扱うことを唯一、許された人間="写真家"は、突き詰めていくのだ。

孔雀は文句なしに美しく、力強くダイナミックで分かりやすい。しかしその裏では、理解を超えた美しさの謎がある。もう少し、もう少し。

2019年3月26日(火)15時8分。

今日の画像は5冊の写真集。

この5名の作家に共通するとこがある。

動画はYOSHIKI。僕は昔から今もYOSHIKIの大ファン。

今回はXのラストライブでのソロ。

現在のYOSHIKI Classicも素晴らしい。

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